世界励ます名護勝利!  〜 沖縄報告②

1月20日に掲載した、平和プロジェクトの呼びかけ人・平塚淳次郎さん(宝塚九条の会世話人会)の沖縄報告続編です。前回と一部重複しますが、ご一読ください。

 
1月19日夕刻の便で那覇を発って伊丹空港に着くと9時、開票開始の時刻と同時に「稲嶺進氏当確」。既にご存知の「圧勝」でした。以下年末年頭の沖縄見たまま報告。

(一)年末<怒りに燃える島>
『即刻辞職し信を問え―民意に背く歴史的汚点』(琉球新報
『辞職し県民に信を問え』(沖縄タイムス
昨年末12月28日付の沖縄二大紙は、前日の知事発表「辺野古埋め立て承認」を受けて、ほぼ同じ見出しの社説を掲げ、数面にわたる写真付きの抗議の声を満載していました。三年前の選挙直前に従来の看板を塗り替えて、「普天間飛行場の県外移設」の公約のもとに二期目の知事職をかすめ取った仲井眞氏に対する県民の怒りの反映でした。
前日27日午後の緊急集会には、降りしきる雨の中二千余の市民が参加。その半数の人が5時閉館時刻間際まで、県庁内ホールに座り込んで、『屈しない』県民の決意表明の交流を継続しました。私は数少ないヤマトンチュウとして、久しぶりに<沖縄を返せ>の合唱の輪にも加わりました。
そこから高教組会館に直行。アレンDVD「九条を抱きしめて」紹介の小集会では「県立高校全分会に配布」という報告に感激。アレンさんを直接知らない人々に「アレンとの十年」を語りました。「代々自民党支持の家庭だが、よく考えるために」県庁の集会に、続いてこちらにも流れ参加したという穏やかな青年の発言が、全島に渦巻く県民の嘆きと怒りの象徴として、今思い返されます。
数日を遡る22日正午近く、(友人を訪ねて那覇着。「迎えに行けない。県庁前のテントに来てほしい」との電話応答。以後一週間の空き時間はほとんどこのテント村の一員となりました。)
夕刻、沖縄国際大学のシンポジウム『“沖縄”はなぜ報道されないか?』では、「全国紙は政府の目線で沖縄を眺めている」だけだ、とパネリスト。
年明けて宝塚の図書館で、年末28日の全国紙社説を見ると、沖縄は「報道され」ていました。
―『沖縄の負担を分かちあう 』(朝日)『日米同盟強化へ重要な前進だ!』(読売)
『重い決断受け着工急げ』(産経)との翼賛社説が並ぶ中、辛うじて毎日新聞
『県民は納得していない』と言論機関らしき姿勢を保持―
23日辺野古浜―<座り込み3,536日>を引き継ぐ人たちのテント訪問。名護市長選の全戸ビラ配布。
夜7時、市内の名桜大学文化行事―若い学生から街の古老までを包む企画の深い配慮。年明け早々の選挙に<埋め立て反対>を貫く観客席の稲嶺進現市長が温かい拍手の中で紹介されていました。
28日11時年内最後の抗議集会。不屈の闘いの新たなる第一歩「名護市長選勝利!」が謳われました。

(二)年頭「誇り高き島」
年頭の旅はアレン時代からの友人芳沢章子さん=(略沖縄の会大阪)の熱意に動かされたもの。もう一人初対面の大森正子さん=(略辺野古大阪行動)という両手の花に支えられた五日間でした。
15日那覇着、女性らしいショッピングにお供、瀬長亀次郎記念『不屈館』に立ち寄った後、レンタカーで名護、稲嶺候補の演説会へ。満員の聴衆を前に「ススムさん」は市長の権限の範囲内で「海にも陸にも基地は作らせない」とキッパリ。同時に、以前の基地再編交付金を断たれた四年間の市財政のもとでの市民生活充実の実績を穏やかに語ります。揺るがぬ信頼の絆。
肩を叩かれて振り向くと年末に世話になった宜野座映子さん―アレン沖縄ネットの総元締め。沖縄料理店で夕食を共にしながら緩まぬ情勢判断を聞き、彼女の要請に基づき、翌日の我々の行動決定。
 16日7時朝食、車で20分弱の名桜大学に。東シナ海を見下ろす小高い丘の上のゆったりとしたキャンパスの正門前で約十名の朝立ち― それぞれ白手袋の手に幟やパネルを持って、登ってくる学生と教職員のバスや車の列に向かって手を振ります。芳沢さんはカナダの環境保護団体から譲られたジュゴンの縫いぐるみをまとって大活躍。「平塚さん、もっとニコヤカな表情で・・・」と映子さんの演技指導の声が飛ぶ中、駐車場に向かう車からは心強い若者たちの反応が次々と返ってきました。
 「市民の会事務所」にもどって、二度目の行動から外してもらった私は、統括の金治明(キムテミョン)さんの手際よい指示のもと、女性たちの手になる、折鶴ならぬ「折りジュゴン」に書き込みの任務―「子供たちの明日のために!」「19日は投票日」等々―保育所前に向かう行動隊が若い母さんたちに手渡すかわいいメッセージだといいます。
 三度目のキャンパス行動に加わっての帰途、わが事務所から約二百メートルの相手候補事務所の前に黒スーツに身を包んだ屈強な男たち、その視線の行く先はマイクロバス上の男―石破自民党幹事長が「五百億円投入」をぶち上げているところでした。市民の怒りの火に油を注いだとか。(以下略)

(三)不屈の島 
19日投票当日 辺野古に立ち寄る 
―浜のテントでは右翼宣伝カーの騒音を受け流しつつ、各地からの訪問者への応対に忙しく…。
―高台の事務所では年配の地元男性三名が、沖合の櫓に体を括り付けて測量隊に抵抗した体験を静かに語ります。芳沢さん持参の三線を手に心に染み入る弾き語りを一曲、二曲披露されるのは、その道の名人でもある会長の宮里健一郎さん。「(選挙の勝敗に関係なく)闘いはまだまだ続くでしょう」と淡々・・・。美しい浜を埋めたてるという暴力と戦争を許すまじ!の想いを胸に「お体を大切に…」と別れの握手。

(四)<日本のメデイア>はいずこへ?
報告のタイトルはDVD『九条を抱きしめて』に登場の政治学者ダグラスラミス氏のインタビュー記事から拝借しました。「私たちは(辺野古)新基地建設の中止と米海兵隊普天間基地の即刻返還を求める安倍首相とオバマ大統領宛の国際署名運動を開始しましたが、すでに世界各国から3800人を超える人々が連帯の署名をよせています。」「名護市民のたたかいに世界中の人々が励まされたことを示しています」(しんぶん赤旗2月9日」)
 「政府の目線で眺めている」全国紙などの眼には届かない情報なのでしょう。(一)に紹介したように沖縄には県民世論を支え、励ますメデイアが健在でした。
因みに日本の「報道の自由度」は「原発事故」に続き「特定秘密保護法」を経て今や世界180ケ国中59位に転落とのこと。(国境なき記者団(本部パリ)1月12日発表)