アレン・ネルソンとの十年 《3》 

<基地沖縄>                 平塚淳次郎(宝塚9条の会)
―「上官の命令に従え!」そして「お前たちの任務は何だ?」―「Kill!(殺し!)」即座に絶叫する若者―前回に触れた新兵訓練とは、普通の若い市民を「絶対服従マシーン」に変える改造課程なのです。
2007年秋、沖縄本島「北部訓練地区」をアレンさんと共に検分する機会を得ました。
Jungle Warfare Training Center−入り口に架けてあった英語の看板は「ジャングル戦」訓練地区と明示。
そして新型ヘリ・オスプレイ用工事が「密かに」進行中でした。
<殺人訓練の島>
1966年、19歳の新兵アレンネルソンの所属する部隊はベトナム侵攻前に、この沖縄に立ち寄りました。
「丘陵地で実戦訓練を受けました」というアレンさんのさりげない導入部を通訳するたびに、
この広大なやんばるの森が思い出されることになりました。
「沖縄では米本国の訓練とは様相が一変!」と講演は続きます。
「戦車、ヘリコプター参加の村落包囲作戦があります。射撃訓練では常に実弾が使われ、
標的が『牛の目』型から『人間』型に」と、黒板に描きます。
「この人間標的のどの部位を狙えと教えられるのでしょうか?」「頭?」「心臓?」と訊ねて、
最後に正解は「ここ」と「男性の股間の急所」に印をつけて、次のように結ぶのです。
アメリカ本国では射撃訓練でしたが、沖縄では殺人訓練を受けたことになります」


<三十年ぶり、怒りの島> 
1995年9月沖縄で12歳の少女が三人のアメリカ兵に暴行され、
人々の積もり積もった怒りが爆発して八万人を超える大抗議集会が開かれました。
米国ニュージャージー州カムデンで青少年センターの所長をしていたアレンさんが事件を知ったのは、
ほんの「二十秒くらいの」TVニュースでした。
ベトナム戦争はとっくに終わっているのに、未だ基地が・・・?」という程度の認識でした。
翌96年5月、招かれて三十年ぶりの沖縄再訪。
そして「アレン日本列島平和行脚」が始まるのです。本稿<その一>の私との出会いはその三年目に当たります。


<「危険」な島>
事件発生のたびに基地司令官は謝罪表明をし、「兵士へのしつけ徹底」を口にします。
「基地内の兵士達は毎日『殺し』という暴力の訓練を骨の髄まで叩き込まれています」とアレンさん。
「その若者たちが街に出かける時に『暴力』だけを基地内に残してくるわけにはいきません。
兵士という『暴力』装置が街中を徘徊することになるのです。」
「謝罪する司令官の胸の内はどうでしょうか。
『新兵どもの根性も本物になってきた! 戦場で使いものになりそうだ』と、ご満悦かもしれないのです。」
鉄柵で囲まれた基地の内も外も知り尽くした人ならではの冷徹なコメントです。
周りに人家が密集する普天間飛行場を視察した米軍最高司令官が「世界一危険」と語ったのは有名な話ですが、
アレンさんによれば「危険」の中身は、飛行機事故に留まらない。
街へ繰り出す「暴力」団の危険こそ本質的な基地問題です。
「軍事基地と平和な市民生活との共存はあり得ない」のです。